関が原の戦いの後、天下統一をはかった徳川家康が、全国に通用させることを目的として、慶長6年(1601年)に始めて鋳造した金貨。小判には、表面に額面「壱両」の極印と、金座の責任者である後藤庄三郎光次の名前(「光次」の文字)、および花押(署名)が打刻されています。
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